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memoirs of a forgetful

July 21, 2012 at 12:42pm
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ナチスについて少し調べればわかることだが、ヒトラーは「ただの極悪人」ではない。ユダヤ人への弾圧や虐殺などがひどいのは言うまでもないが、上記のように、政策の方向性としては「左翼的な正義」が基調である。いわゆる「悪人」というよりもむしろ、「使命感に燃えた善人」に近いといってもいい部分がある。

実際、ヒトラーは自分が「善」だと強く確信していたからこそ、権力を握ることで「悪」を撲滅しようとしたのだろう。そして、それに一定の説得力があったからこそ、支持を集めて、権力を得ることができたわけだ。

もちろん、ナチスの政策だから全部間違っているということにはならないし、ナチスの政策にも正しいものはあるかもしれない。重要なのは、ナチスの政策が正しいか間違っているかというよりも、「これは善なのだから、他人に強制してもいい」という考え方そのものが危険だ、ということなのだ。

正誤・善悪によらず、何かを他人に「強制」するという考え方にこそ、全体主義やファシズムへの萌芽がある。何かを他人に「強制」してもいいと考えている人は、自らの無謬性(誤りがないこと)をまったく疑っていない。自らの正しさを確信すること自体は問題ないのだが、それを「他者に強制する」ことから問題が生じる。

自由主義やリバタリアニズムがこの「強制」を嫌うのは、何が正しいのか、何が善なのかということに関して、唯一の絶対的な基準があるということを疑っているからだ。自由主義者やリバタリアンは、つねに異なる意見、異なる価値観を共存させ、多様性を認めることで、社会は発展するし、また社会は安定する、と考える。

自由主義者が政府より市場を好むのも、政府は「強制」するものであり、市場は「自由」な取引で成り立つものだからだ。

私の見たところ、日本というのは「これは善なのだから、他人に強制してもいい」という考え方がわりと強い国だと思う。そういう考え方の人は、たいてい「悪人」ではなく、むしろ「善人」だったりする。「いい人」なわけだ。しかし、他人に「強制」すべきでないということや、異なる考え方をあえて共存させる「多様性」の重要性については、あまり理解されていないように感じる。

— 『ナチスの「25カ条綱領」は日本人必読では』モジログ 2010.10.11